親ガチャ子ガチャ

「親ガチャ」などと言う言葉が普通に使われている。産まれてくる子供は親を自らは選べない。裕福な親の元に生まれてくるかどうかは(当たりをゲットできるかどうかは)自らは選びようが無く、運に頼るしかない。家庭環境によって人生が左右されるという投げやりな感情をゲームの「ガチャガチャ」に例えた造語だ。

逆もまた真なり。親は「子ガチャ」は出来ない。トンビが鷹を生むなら、鷹もトンビを産むだろう。大人はハズレを授かっても決して口にしないだけだ。なぜならそれは単に「運」の問題にすぎないとわかっているから。言ったってしょうがない事だ。自分だけではどうしようも出来ない事なんて人生には山ほどある。

運が良いとか、悪いとか。そういう事って有るのだろう。確かな事は当たりっぱなしなんて事は無いって事だ。学校を出て就職して、「ああ、良い会社に入った。私は幸せ者だ」って退職するまで思える人なんて一握りもいるかどうか。タメ息ばかりをつきながら、たまーに嬉しい事が有って、禍福は糾える縄の如し。でもよっぽど辛かったら全部ガチャをした方が良い時もある。大ケガをする前に。

ただ、生まれ持った才能の有無っていうのは感じる時がある。ある分野の才能が100で生まれた人と50で生まれてきた人。100の人が努力を重ねて110、120と伸ばしたら、50の人が60、70と頑張ってもずっとかなわない。それは早めに理解したほうが良い。ダメなものはダメなのだから。

もっとも才能100の人が気付かずに磨く努力を怠れば70になり50になって行く。逆に50しかなかった人でも、それが好きな分野でコツコツ努力出来れば70にも80にも高めることができる。超える事が可能だ。肝心なのは才能に磨きをかけるための後天的な努力と言う事だ。

「親ガチャ」なんて若い人たちが恥ずかしげもなく平気で言っちゃう今の世の中って、何だか哀しい。彼らは術を知らない、誰にも教えられていないだけなのだから。

大谷選手は100の野球の才能を努力を重ねて200にも300にもしたのだろう。もしかして最初は50だったりして。運も味方した?いやいやそんな屁理屈、大谷選手の前で恥ずかしくて言える訳が無い。せめて毎日の生活や仕事の中で少しでも自分を磨くようにしよう。この時代を生き抜くために。


著者:ティラーズ運営事務局

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